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讃岐一刀彫 初代 山中象堂 年表

年代
西暦
事項
年齢

明治31年4月

1898 琴平工業徒弟学校彫刻科に第一回生として入学。
入学生徒数36名、場所は現在の海洋会館。
11才

明治34年

1901 同校卒業後、琴平町内で彫抜漆器製品を約二年間作ったが、思ったように収入が得られず工場を閉鎖する。
14才
明治36年
1903 琴平工業徒弟学校時の彫刻技術の指導者、村上久次郎氏が、
当時美術工芸の本山であった大阪の山中商会の工場長に招聘され、
久次郎氏の紹介で、山中商会に入社し、彫刻技術を修業する。
修業中にセントルイス万国博に日光に模した大物建築彫刻の出品に参加。
16才
明治41年
1908 自宅高松屋旅館で結婚、旅館の一部分で彫抜き漆器工場を作り、製造販売を始める。
21才
大正8年
1919 琴平銀行頭取石田甚吉氏の出資を得、独自で漆器製造を始める。
山中象堂商会を設立する。
32才
大正10年
1921 琴平銀行が破産し、家屋あけわたしと同時に工場の回転資金に困り閉鎖する。
34才
大正11年
1922 参道筋にひっこし独立する。漆器工場は半製品の量が多く、
しかも多額の回転資金を必要とするので漆器製造を中止。
そこで、山中商会で修業、研究した高度な彫刻技術を生かして生活しようと決心し、
肥松天然木応用の一刀彫像を創作する。
35才
同2月12日
摂政宮行啓に際し、彫抜菊花総彫巻煙草入れ一個を御献納の栄に浴す。
昭和4年
1929 ある日、阿波(徳島県)の山師が持ち込んだ肥松の根部を自然のまま生かして欲しい
とたのまれて、天然木肥松一刀彫像を創作する。
42才

 

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